2024年8月25日(日)
八幡が丘公園へは子供の頃からよく行きました。当時は飯野駅前に住んでいましたので、公園までは歩いて行き、川内川の、確か前田橋だと思いますが、ここまでは自転車で行ったものです。何か悩み事があると必ずこの二ヶ所には行き、物思いに更けていました。本当によく行きましたね。私が今度中古住宅を買ったのが八幡が丘公園の下の住宅街の一角です。ここ来てからはまだ公園には行っていません。近すぎていつでも行けると思っているのでしょう。夜窓を開けて寝ていますが、真夜中に寒くなるのはたぶん公園の山の吹きおろしの風によるのではないかと思っています。実に夜も昼も静かなところです。私にはもってこいのところです。誰も訪れる人もありません。店までは6分・行きつけの病院までは5分、警察・郵便局・コンビニなどすべて10分内で行けるところです。家は築50年ですから古いです。でもとても気に入っています。寂しくなるくらい静かなところですが、それが私には最高です。きのうNHKで、京セラの創設者稲盛和夫氏のドキュメントがありました。心に残った氏の言葉は、真面目に生きている人は、一度倒れても必ず立ちあがられると言われていました。私も同感です。誠実に真面目で素直に生きていけば必ず失敗しても立ち上がれるはずです。捨てる神もいれば、拾う神もいます。どんなことがあっても誠実さを失わないことですね。私事で申し訳ありませんが、25~6歳で大変な額の借財をもって倒産しました。精神的に参り10年間病気との闘いです。その間幾多の仕事をしたでしょうか、どれもこれも資金がなく失敗だらけです。人に好かれるような私ではありません。むしろ倒産したことで喜ばれていたでしょう。歯を食いしばり頑張ってこられたのは、室町幕府からの武士の子孫であるという、私独自の考え方があったからでしょう。それと子供の頃から誠実に生きることを教育してくれた両親のおかげですね。父親からは誠実に、母親からは素直でいなさいと口癖のように言われ続けていました。バカな子供でも何年も言われ続けられると身に付くものですね。嘘が言えません。世渡りは下手ですね。生一本で生きていますので、自然に友達は少ないですね。そんな私でも救ってくれた人がいます。子供4人とも大学に進学させられたのも、私に手を差し伸べてくれた人のおかげだと感謝しています。今人並みの生活ができるのも人のおかげです。友達が多かろうと、少なかろうと毎日誠実に生きていけば必ず人は見ているということでしょうね。人がいるから誠実にとかではなく、自分自身に誠実に生きなければいけないようです。人が見ていないからこれくらいはいいだろうと思う心は間違いですね。人は見ていなくても己自身が一番分かっています。50歳前から自分との闘いが始まりました。父親の言葉がなぜか思い出されるのです。それは40歳代までいい加減な生き方をしてきたせいでしょう。私のつぶやきで誠実・真心・素直な心といった言葉が出てくるのは、父親の影響と自分が体験した結果だと思います。この気持ちを死ぬまで持ち続けなければと思っています。反省しなければいけないのは、心にも思っていないようなことを露骨に言葉に出してしまうところです。兄によく言われました。お前は腹はきれいなのに人に嫌われるようなことを言う。言わずに腹に収めておけと。友達が少ないわけです。自分自身が友を遠ざけているのですから。死ぬまでの間に治りますかね。バカは死なねば治らないと父から言われたことがあります。