2024年7月24日(水)
今日も暑いです。少し曇っているようなので通り雨でも降ってくれることを願っています。私たちが子供ころはスコールのような雨が降ることがありましたが、最近はありませんね。スコールのような雨を天気雨と言って、狐の嫁入りと言っていました。空は晴れていて雨が降るんですから不思議でした。1年の四季もはっきりしていたようですが、気候変動かこれもくるってきているように思われます。宮崎は台風銀座と言われ、ほとんどの台風が通過していた記憶があります。そのたび休校でした。これはうれしかったですね。最近は台風も進路を変え、えびの市付近ではこれによる被害は見られないようです。台風進路が変わったことだけはうれしいことです。 この暑さが続きますので、家庭菜園は収穫するだけで、草取りはやっていません。畑は草ぼうぼうです。小雨の時でも雷さえならなければ草刈りをしなければと思っています。
今日まで私がどうにか生活してこられたのは、波乱万丈の生活を切り抜けてきた経験があるからだと思っています。25・6歳で数千万円の負債を抱え倒産しました。不動産を売却し返済に充てましたが、それでも2千万円以上残りました。これからが大変な生活です。若かったので勤めようと思いましたが、相手さんが雇ってくれません。自分で何かをしなければと思い、色々なことに挑戦しました。雑貨の訪問販売それがうまくいかず、個人貿易もしました。貿易の仕事なんてかかわったこともありませんでしたので、一から勉強して韓国や台湾・インドと少しだけ取引したことがあります。とにかく銀行に信用がありませんので資金繰りができずすべてが思うように仕事ができませんでした。古米・古古米がある時代です。今夜食べるお米がないからどうしようもありません。でも夕食を抜いたことはありませんでしたね。女房が工夫して食事していました。お米があるときはおかずを作るお金がないのです。随分してから聞いたことですが、こんな日は散し寿司だったそうです。これがまたおいしかったのです。私は全く女房の苦労を知らなかったのですね。ただおいしかった記憶だけはあります。あとで聞いた話で、100円で作っていたそうです。それを聞いてから私は食べなくなりました。自分の不甲斐なさを思い知らされるようで食べられなくなりました。それから暫くして子供たちが保育園に行くようになり、女房が書店に努めることができ、生活費に充てることができるようになりました。私は全く見ず知らない方から援助していただき、養豚業を始めました。7年間頑張りましたが、思ったようにはいかず閉鎖しました。それからとんかつ専門店を開きましたが、小料理店になり、居酒屋になりました。子供が小さかったので環境が悪いと思い、今の仕事に切り替えたのです。その頃も銀行には信用はなく、土地・建物すべて他人名義で建築しました。これも知らない人からの力添えがあったからできました。私が40歳のころです。毎月のローン返済が60万円ぐらい数年続きました。他人の名義で借入していますので、絶対返済が遅れてはいけません。数年間は本当に必死でしたね。それからだんだんと軌道に乗り、すべての名義を自分の物にすることができました。まだまだ詳しく話せばびっくりするようなことばかりです。私をここまで奮い立たせたのは、自分は室町幕府から続く武士の子孫だというプライドだったのだと思っています。他人にうそを言わない、誠実に生きる、自分で責任を取るこれらのことを強く思うようになりました。若いころは無責任な人間だったと思っています。波乱万丈の世界を生き抜いてきたから、今までの自分を振り返ることが強くなり、人の恩のありがたさが身に染みるようになりました。歳を取るほど人格について考えるようになりましたね。世の中がどうゆう状況になっても、誠実に生きていかなければならない事だけはヒシヒシと感じ取ってきました。年相応の人格をもたねばと努力しています。